子育て随筆(最前線の子育て論)
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子育て随筆
●子育てについて、思いつくまま書きました。
●子ども、子育て、教育について、原稿をまとめてみました。

(前書きより)

はじめまして!


 子育てはまさに、無数の山越え。子育ては苦労の連続。一つの山を越え、谷を越えると、そのまた向こうに、山がある。あとはこの繰り返しです。しかしどんなお父さんでも、またお母さんでも、時として袋小路に入り込み、自分を見失うこともあります。そんなとき、この「最前線の子育て論」を、開いてみてください。このブックは、必ず、あなたの子育てのお役にたてることと思います。

                                       はやし浩司
                     

(本文より)

●子育てのすばらしさ

 子育てをしていて、すばらしいと思うことが、しばしばある。その一つが、至上の愛を教えられること。

 ある母親は自分の息子(三歳)が、生死の境をさまよったとき、「私の命はどうなってもいい。息子の命を救ってほしい」と祈ったという。こうした「自分の命すら惜しくない」という至上の愛は、人は、子どもをもってはじめて知る。

 次に子育てをしていると、自分の中に、親の血が流れていることを感ずることがある。「自分の中に父がいる」という思いである。私は夜行列車の窓に映る自分の顔を見て、そう感じたことがある。その顔が父に似ていたからだ。

 そして一方、息子たちの姿を見ていると、やはりどこかに父の面影があるのを知って驚くことがある。先日も息子が疲れてソファの上で横になっていたとき、ふとその肩に手をかけた。そこに死んだ父がいるような気がしたからだ。

 いや、姿、形ばかりではない。ものの考え方や感じ方もそうだ。私は「私は私」「私の人生は私のものであって、誰(だれ)のものでもない」と思って生きてきた。しかしその「私」の中に、父がいて、そして祖父がいる。自分の中に大きな、命の流れのようなものがあり、それが、息子たちにも流れているのを、私は知る。つまり子育てをしていると、自分も大きな流れの中にいるのを知る。自分を超えた、いわば生命の流れのようなものだ。

 もう一つ。私のような生き方をしている者にとっては、「死」は恐怖以外の何物でもない。死はすべての自由を奪う。死はどうにもこうにも処理できないものという意味で、「死は不条理なり」とも言う。

 そういう意味で私は孤独だ。いくら楽しそうに生活していても、いつも孤独がそこにいて、私をあざ笑う。すがれる神や仏がいたら、どんなに気が楽になることか。が、私にはそれができない。しかし子育てをしていると、その孤独感がふとやわらぐことがある。

 自分の子どものできの悪さを見せつけられるたびに、「許して忘れる」。これを繰り返していると、「人を愛することの深さ」を教えられる。いや、高徳な宗教者や信仰者なら、深い愛を、万人に施すことができるかもしれない。が、私のような凡人にはできない。できないが、子どもに対してならできる。いわば神の愛、仏の慈悲を、たとえミニチュア版であるにせよ、子育ての場で実践できる。それが孤独な心をいやしてくれる。

 たかが子育てと笑うなかれ。親が子どもを育てると、おごるなかれ。子育てとは、子どもをよい学校へ入れることだと誤解するなかれ。子育ての中には、ひょっとしたら人間の生きることにまつわる、矛盾や疑問を解く鍵が隠されている。それを知るか知らないかは、その人の問題意識の深さにもよる。

 が、ほんの少しだけ、自分の心に問いかけてみれば、それがわかる。子どもというのは、ただの子どもではない。あなたに命の尊さを教え、愛の深さを教え、そして生きる喜びを教えてくれる。

 いや、それだけではない。子どもはあなたの命を、未来永劫(ごう)にわたって、伝えてくれる。つまりあなたに「生きる意味」そのものを教えてくれる。子どもはそういう意味で、まさに神や仏からの使者と言うべきか。いや、あなたがそれに気づいたとき、あなた自身も神や仏からの使者だと知る。そう、何がすばらしいかといって、それを教えられることぐらい、子育てですばらしいことはない。 

★つづきは、本文で

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Chapter(1) 子どもをどう考えたらいいの?
Chapter(2) 子育てをどう考えたらいいの?
Chapter(3) 教育をどう考えたらいいの?

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