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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 5月 21日
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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●学歴と人格

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はっきり、言おう。

学歴と人格は、まったく、関係ない。
わかりやすく言えば、勉強ができる人
イコール、人格者ということは、ぜったいに、
ありえない。

ところが、ほとんどの人は、こう錯覚
している。

学歴のある人イコール、人格的にも
すぐれた人、と。

しかしこれは誤解、ウソ、偏見。

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 ほとんどの親は、勉強がよくできる子どもイコール、人格的にすぐれた子どもと誤解し
ている。誤解と言うより、これはウソ、偏見。

 同じように、学歴が高い人ほど、やはり、人格的にすぐれた人と誤解している。これも
誤解と言うより、ウソ、偏見。

 学歴と人格の間には、相関関係は、まったくない。

 ただそれなりの地位や役職、職業についている人が、それなりの人物に見えることはあ
る。しかしそれはそうした仕事を通してその人が身につけた、(役割形成)のようなもの。
まわりの人たちから、「先生」「先生」と呼ばれているうちに、自ら、それらしい人間にな
っていく。そういうことはある。

 (が、だからといって、その人が、人格者であると判断してはいけない。念のため。)

 また一般の人も、それなりの地位や役職、職業の人と会ったりすると、それなりの人物
であると思いこんでしまう。そしてそういう目で、その人を見る。相手は相手で、そうい
う(目)を、敏感に感じ取り、それなりの人物らしく振る舞う。だから一般の人は、「やっ
ぱり、あの人は、すぐれた人」と思いこんでしまう。

 もちろん、その反対のこともある。世間的にレベルの低い仕事をしている人がいたとす
る。(本来、仕事に上下はない。自分でそう思いこんでいるだけ。)そういう人は、「自分は
ダメな人間」と、自らにレッテルを張ってしまう。そして自ら、自己評価をさげ、それら
しい人間になってしまう。そういうこともある。

 しかし、あえて繰りかえす。

 学歴、つまり勉強ができる、できないということと、その人の人格は、まったく関係は、
ない。もちろん、高い学歴をもちながら、高い人格をもっている人はいる。しかし反対に、
高い学歴をもちながら、そうでない人もいる。

 人格の完成度は、たとえばEQ論(情緒指数論)などによって判断する。そのEQ論に
よれば、(1)他者との共鳴性のある人、(2)自己管理力の高い人、(3)良好な人間関係
を築いているなどを、人格の完成度の高い人とみる。むしろ、受験競争をバリバリとやり
こなしてきた人ほど、人格の完成度は低いとみてよい。

 自分勝手で自己中心的。享楽的な生き方をし、自分のカラにこもりやすい、など。たと
えば進学校と呼ばれる学校でのほうが、一般校よりも、いじめの発生率が高く、かつ陰湿
であると言われている。確たる統計結果があるわけではないが、こんなことは、教師の間
では、常識。

 またはげしい受験競争を経験すればするほど、子どもの心は、ぞっとするほど、冷たく
なる。ものの考え方が合理的で、ドライになる。人間の価値すら、点数で決めてしまう。
また皮肉なことに、そういう子どもでないと、はげしい受験競争は勝ち抜けない。

 つまり子どもの世界では、(おとなの世界でも、そうだが)、「勉強」「学習」というテー
マと、「人格の形成」というテーマは、まったく別のもの、異質なものであると考える。

 で、日本の子育てで、最大の欠陥といえば、この一点に集約される。この両者を、同一
視、もしくは混同している。ほとんどの親たちは、「勉強がよくできる子どもイコール、人
格的にもすぐれた子ども」と誤解している。中には、「勉強ができるようになれば、人格的
にもすぐれた子どもになる」と、信じている人がいる。しかし、何度も繰りかえすが、こ
れはまったくの誤解、ウソ、偏見。

 ところでこんなおもしろい実験がある。以前、何かの心理学の本の中で読んだものだが、
こんな実験である。

 信号待ちのとき、青信号になっても、車をそのまま止めておく。そのとき、うしろにつ
づく車を運転している人は、何秒ほど、それを待つことができるかという実験である。

 青信号になっても、前にいる車が、動かなければ、それにつづく車の運転手は、クラク
ションを鳴らしたりして、前の車に、「動け」と合図する。その時間、つまり青信号になっ
てから、うしろの車を運転する人がクラクションを鳴らすまでの時間を測定してみた人が
いた。

 結果、前に止まっている車が、安い大衆車であればあるほど、時間は短く、前に止まっ
ている車が、高級な車であればあるほど、時間は長くなるということがわかったそうだ。
たしか2倍ほど、時間がちがったのではなかったか。あいまいな記憶で、申し訳ないが、
これなども、偏見の一例と言える。

 つまり相手がそれなりの地位や立場の人だと、それなりの人物だと思いこんでしまう。
そうでなければ、そうでない。私たちは無意識のうちにも、相手の価値を、見栄えや、肩
書きで判断してしまう。遠慮したり、自分を卑下したりする。

こうした権威主義的な人の見方は、ときとして、相手を見誤る原因となる。ときには、
そうした偏見が、自分の自己評価をさげてしまうことにもなりかねない。

 それこそ、「損」というもの。

 人を見るときは、中身を見て判断する。子どもを見るときも、また同じ。

★つづきは、本文で



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