子どもの見方・育て方
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子どもの見方・育て方(子どもが変わるとき)
●静岡県教育委員会発行「ファミリス」の連載記事より。
●少し深刻な(?)テーマについて、原稿を書いてみました。

(本文より)
子どもが変わるとき

この原稿は、雑誌「ファミリス」(静岡県教育委員会発行)に

 2001年9月号から2002年4月号に連載されたものです。

@親子の断絶が始まるとき

●最初は小さな亀裂
 最初は、それは小さな亀裂で始まる。しかしそれに気づく親は少ない。「まさか……」「まだうちの子は小さいから……」と思っているうちに、互いの間の不協和音はやがて大きくなる。そしてそれが、断絶へと進む……。


 今、「父親を尊敬していない」と考えている中高校生は55%もいる。「父親のようになりたくない」と思っている中高校生は79%もいる(「青少年白書」平成十年)。が、この程度ならまだ救われる。親子といいながら会話もない。廊下ですれ違っても、目と目をそむけあう。まさに一触即発。親が何かを話しかけただけで、「ウッセー!」と、子どもはやり返す。そこで親は親で、「親に向かって、何だ!」となる。あとはいつもの大げんか!


 ……と、書くと、たいていの親はこう言う。「うちはだいじょうぶ」と。「私は子どもに感謝されているはず」と言う親もいる。しかし本当にそうか。そこでこんなテスト。


 あなたの子どもが、学校から帰ってきたら、どこで体を休めているか、それを観察してみてほしい。そのときあなたの子どもが、あなたのいるところで、あなたのことを気にしないで、体を休めているようであれば、それでよし。あなたと子どもの関係は良好とみてよい。しかし好んであなたの姿の見えないところで体を休めたり、あなたの姿を見ると、どこかへ逃げて行くようであれば、要注意。かなり反省したほうがよい。ちなみに中学生の多くが、心が休まる場所としてあげたのが、@風呂の中、Aトイレの中、それにBふとんの中だそうだ(「学外研」九八年報
告)。


●断絶の三要素
 親子を断絶させるものに、三つある。権威主義、相互不信、それにリズムの乱れ。「私は親だ」というのが権威主義。「子どものことは、私が一番よく知っている」「子どもは親に従うべき」と言う親ほど、あぶない。親が権威主義的であればあるほど、子どもは親の前では、仮面をかぶる。いい子ぶる。が、その分だけ、子どもの心は離れる。親は親で、子どもの心を見失う。

 次に相互不信。「うちの子はすばらしい」という自信が、子どもを伸ばす。しかし親が「心配だ」「不安だ」と思っていると、それはそのまま子どもの心となる。人間の心は、鏡のようなものだ。イギリスの格言にも、「相手は、あなたが思っているように、あなたのことを思う」というのがある。

 つまりあなたが子どものことを「すばらしい子」と思っていると、あなたの子どもも、あなたを「すばらしい親」と思うようになる。そういう相互作用が、親子の間を密にする。が、そうでなければ、そうでなくなる。

 三つ目にリズム。あなたの子どもがまだヨチヨチ歩きをしていたころを思い出しみてほしい。そのときあなたは子どもの横か、うしろを歩いていただろうか。そうであれば、それでよし。しかしあなたが子どもの前を、子どもの手を引きながら、ぐいぐいと歩いていたとするなら、あなたと子どものリズムは、そのときから狂い始めていたとみる。

 おけいこ塾でも何でも、あなたは子どもの意思を無視して、勝手に決めていたはずだ。今もそうだ。これからもそうだ。そしてあなたは、やがて子どもと、こんな会話をするようになる。

親「あんたは誰のおかげでピアノがひけるようになったか、それがわかっているの! お母さんが高い月謝を払って、毎週ピアノ教室へ連れていってあげたからよ!」
子「いつ誰が、そんなこと、お前に頼んだア!」と。

 権威主義は百害あって一利なし。頭ごなしの命令は、タブー。子どもを信じ、今日からでも遅くないから、子どものうしろを歩く。決して前を歩かない。アメリカでは親子でも、「お前はパパに何をしてほしい?」「パパはぼくに何をしてほしい?」と聞きあっている。そういう謙虚さが、子どもの心を開く。親子の断絶を防ぐ。

★つづきは、本文で

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