世界の子育て格言
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世界の子育て格言
●学研「よいこのくに」附録、「母の国」巻頭言で書いた原稿集です。

(本文より)

この原稿は、幼稚園配布雑誌「よいこのくに」(学研)の

付録「ははのくに」の巻頭言として、1994年4月から

95年3月まで、12ヶ月にわたって、連載された原稿です。

●引いて、発(はな)たず

名言から学ぶ子育て

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引いて、発(はな)たず。
(孟子)

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 紀元前3世紀ごろの、中国戦国時代の思想家。著書『孟子』は、儒学の経典の一つとさ
れる。


 子どもに矢の射り方を教える時も、矢の引き方までは教えても、その矢を放つところまでは見せてはならないという意味です。教育といっても、何でもやりすぎはよくないということです。この名言は、子育ての場で、いろいろに応用できます。たとえば…。

 子どもに自立心をつけたいと、ほとんどの親は思っています。そういう時は、『何でも半分』と心得ます。たとえば服でも半分だけは着せてあげても、残り半分は子どもに着させる。靴下も片方だけをはかせてあげても、もう一方は自分ではかせる、など。もしそれではたいへんだという時には、『あと一歩、その手前でやめる』というのもあります。なんでも子どもにしてあげる時には、完成する一歩手前でやめ、あとは子どもにさせます。つまり子ども自身の力で、完成させるようにしむけます。

 しかし中に手取り、足取り教育をする人がいます。またそういう教育のほうが、ていねいでよい教育だと考えている人がいます。しかしこと幼児教育にあっては、これは誤解です。ある程度の方向性はつけてあげても、依存心まではもたせてはいけません。子育てにはある程度の、「冷たさ」も必要です。そしてその冷たさが、子どもを自立させます。

 手をかけすぎると、こんな子どもになります。幼稚園児とこんな会話をしたことがあります。

子「先生、絵が描けない」
私「どうして?」
子「クレヨンがない」
私「どうして、ないの?」
子「クレヨンが落ちた」
私「だったら、拾えばいいでしょ」
子「…取れない」
私「立って拾いなさい」
子「椅子が動かない」
私「力を入れて押してごらん」
子「動かない」

 その子どもの椅子は、隣の子どもの椅子と、脚がからんでいました。だからその子どもは、「動かない」と言うのです。多分その子どもは、家庭でも日常的にそういう言い方をしているのでしょう。そう言えば、何でもしてもらえるからです。

 さらにこの状態が進むと、無気力な子どもになってしまいます。「クレヨンを持ってごらん」と言うと、クレヨンを持つだけ。次に、「丸を描いてごらん」と言うと、丸を描くだけ。言われたことだけはしますが、それ以上のことは、自分からは何もしません。強度の過干渉が日常化すると、子どもはそうなります。

 子育てとは、つまるところ、子離れのことです。子育てを意識したら、親は心のどこかで子離
れを考えます。子どもを育てるということは、子どもを自立させること。そして親が子離れをすればするほど、子どもはたくましく育ちます。またそれが子育ての目標でもあるのです。

 一見冷たく見える孟子の名言ですが、子育ての本質をついた名言です。




●忠告は秘かに

名言から学ぶ子育て

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忠告は秘かに、賞賛は公(おおやけ)に
(シルス)
Give advice secretly, and praise children openly.


古代ローマの劇作家。

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 幼児にもおとなと同じ自尊心があります。生きる誇りのようなものです。この誇りに傷をつけるのは、タブー。その代表的なものが、皆の前で恥をかかせることです。注意したり、叱ったりする時でも、決して皆の前でしてはなりません。できれば誰もいないところでします。あるいは別の場所へ連れて行ってします。あくまでも一対一の関係でするのが、コツです。

 中にそのほうが効果的だからという理由で、わざと皆の前で恥ずかしい思いをさせる人がいます。しかしこのやり方は、子どもを確実に卑屈にします。そればかりではありません。以後、ことあるごとに、その子どもをマイナス方向に追いやります。自信のない子どもや、覇気のない子どもにしてしまいます。行動が退行的かつ消費的になります。

 退行的というのは、たとえばスポーツをして体を鍛えることを創造的というなら、隠れてタバコを吸うような行為をいいます。また消費的というのは、テレビゲームに熱中するなど、その場のエネルギーを一方的に消費するような行為をいいます。幼児ですと、隠れて妹いじめをするとか、小さなおもちゃを意味もなく、たくさん集めるなどの行為をいいます。

 しかし反対にほめる時は、皆の前でほめます。さらに効果的な方法としては、子どもに聞こえるようなところで、ほかの人に子どものことをほめるという方法があります。たとえばお父さんに向かって、「あなた、今日ね、うちの子ったら、すごかったのよ」とか言うなど。しっかりとした自尊心をもたせることによって、子どもは前向きな人生観をもちます。

 こう書くと、「子どもをうぬぼれさせるのではないか」と心配する人もいますが、幼児期にあっては、子どもをややうぬぼれさせる程度のほうが、後々よい結果を生みます。もちろん自尊心とうぬぼれはちがいます。自尊心は子どもを前向きに引っぱる力がありますが、うぬぼれにはそれがありません。「ぼくを馬鹿にするやつは許せない」というのは、自尊心ですが、「ぼく以外は皆、馬鹿だ」というのは、うぬぼれです。

 自尊心が強ければ強いほど、子どもには根性が生まれます。その自尊心を育てる方法は、ほかにもいくつかあります。その一つが、『名前を大切にする』という方法です。

 子どもの名前の書いてあるものは、大切に扱います。雑誌や新聞に、子どもの名前が出た
時には、それを大切にします。あるいは常に、「あなたの名前はいい名前だから、大切にしようね」と教えます。

 もう一つの方法は、いつも子どもの成長を喜ぶという方法です。子どもが何か新しいことができるようになるたびに、心底、それを喜んでみせます。「あら、もうそんなことができるの!」とです。子どものほうから、「お母さん、見て、見て」と言ってくるようになれば、しめたものです。そういう家庭の雰囲気が子どもを伸ばします。

★つづきは、本文で

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